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宮崎神宮大祭 [南九州と神話]

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宮崎の秋祭り「宮崎神宮大祭」をぶらりと見てきた。
宮崎神宮大祭は地元では「神武(じんむ)さま」と呼ばれ、他の地域の秋祭りとは根本的に異なるものだ。
明治9年から140年の歴史を持つ祭りで、一般的な秋祭りのような秋の豊穣を感謝するものではなく神武天皇を信仰するお祭りなのである。
神武天皇は「古事記」「日本書紀」の神話に登場する初代天皇であり、ここ宮崎から畿内へ東征して日本をまとめ上げた神の末裔とされる豪族である。

西日本が中心となる古事記や日本書紀などの「神話」については、関東の人たちにとってはあまり関心のないものであるかもしれない。
純粋な歴史学として見た場合に、神話を取り上げることは少しばかり邪道であるかもしれない。
しかし神話は歴史を考える重要なファクターであり、神話を抜きしにて日本を考えることは不可能である。
自分が生まれ育った岡山は神話と縁が深く、「桃太郎」の話の元となった吉備津彦(きびつひこ)を祭る吉備津神社がある。
30年近く神話に関する内容を、歴史的な考察ではなく地理的な分析によって解き明かそうと調べている。
資料が無さすぎる歴史的考察では限界が目に見えているからだ。
旅をすればわかるようになると思うが、ありとあらゆる文化や歴史は常に地理によって制御されている。
つまり地理的な分析を極めれば、歴史的考察が難しい問題であってもなんとか真実に迫れるのではないかと考えたのである。
5年前に移住の地を宮崎に選んだのは、もっと詳しく神話の地の「地理」を見てみたいと考えたから、というのがひとつの理由だ。

若いうちは「旅をする」と言えば、ただ知らない土地に出向き、珍しい風景を鑑賞し、その地のおいしいものを食べるだけで旅気分を味わえるかも知れない。
だが次第に「なぜこの風景ができたのか」「どうしてここにお寺があるのか」興味はどんどん膨らんでくるだろう。
そういった興味を持ち、考えることによって旅の奥深さは無限大に広がるのである。
神話について考えることは西日本の歴史風土を知るきっかけともなり、旅をした時の楽しさをワンランク上に導いてくれる。
また、日本が何故世界最古の国であるか、日本独自の信仰である神道(しんとう)を知ることによって見えてくるだろう。
そこで今回は日本の神話について、ちょっとばかり考えてみよう。

神話の内容は極めて興味深い。
もちろん神話であるからそこには作られた「お話」がてんこ盛りなのであるが、これが全て事実無根かと考えるとそうではない。
むしろ史実に基づいて口伝えで伝承されてきた話が、次第に変遷したり、またはそれを元にして話を作り上げたと考える方が自然だ。
その内容は様々な興味深い考察が可能である。
中でも自分がかねてより注目しているのは、神武天皇が宮崎から畿内へ東征した本当の理由だ。
なぜ九州を捨てて、大阪・奈良へ大移動を行ったのか。
九州は暖かいし食料も豊富で、わざわざ苦難の移住を行う必要などないからだ。
神話の物語で東征の理由は、要するに「日本を建国して新しい世を作る」ということになっている。
神話では神武天皇は日本を生み出した一族なのだから、日本建国が目的と言えば当然だが、恐らくこれは全くの結果論から生まれた後付けの理由だろう。
日本各地を制圧しまとめるのが目的なら、畿内へ移住する必要はなかったはずだ。

ここで考えなければならないのが、日本特有の信仰「神道」である。
神道は文明的発展を遂げた国では唯一とも言ってよい、「自然信仰」である。
自然のもの、身の回りのもの、はたまた死者までもを全て「神」とみなし、八百万(やおよろず)の神として信仰するのが自然信仰であり、神道である。
日本でこれほどまでに自然信仰が大切にされてきたのは、日本が太古より地震や噴火、津波、台風などの自然の猛威にさらされてきた国であるからだ。
日本が世界で最も「親切で、ルールを守り、安全で、クソ真面目で、謙虚で、宗教戦争をしない」国である理由は、この八百万の神を信仰する自然信仰のおかげである。
数多の神を同時に信仰し、亡くなった人を神として信仰する神道は、キリスト教などの唯一神と異なり、他の神を否定しないどころか神道文化に融合して取り込んでしまう。
歴史を見れば細かな争いはあったものの、最終的には日本の文化のひとつとして馴染んでしまうため、宗教戦争が起きないのである。

さて神武天皇の東征の話にもどる。
神武天皇が東征した理由、そこには間違いなくこの「自然信仰」が関わっていると見る。
つまり「神々のお告げ」もしくは「神々の怒り」が何らかの形でキッカケとなっているだろう。少なくとも日本統一が目的ではない。
このお告げや怒りは、阿蘇くじゅう・霧島・桜島のいずれかによる噴火か、それに伴う地震によるものではないかと思われる。
恐るべき天災を目の当たりにして神々の怒りから逃れるため、九州を旅立ち東征したのではないかということだ。

日本は火山大国だが、特に九州は恐るべき噴火に幾度も見舞われている。
現代ですらちょっとした噴火であっても、とてつもなく恐ろしいものであるから、当時噴火によって被災した人々は決して忘れることができないほどの、世界の終わりとも思えるような恐怖を味わったはずだ。
過去の巨大噴火にまつわる死の伝承と、実際に間近に起きた小規模な噴火やそれに伴う地震を断続的に経験したことが、神武天皇東征の最大の原因ではないかと見る。

神話に登場する「イザナギ」と「イザナミ」の話に、東征について深い関りがあるのではないかと思えるものがある。
イザナギとイザナミは夫婦であり国と神を産んだ全ての祖なのであるが、この話は「イザナミがカグツチという火の神を産んだ時にイザナミは火傷で死んでしまう。夫イザナギは死んでしまった妻イザナミに会うために黄泉(よみ)の国へ行き、そこで変わり果てたイザナミを見て逃げ帰る」というものだ。
この話が重要だと思うのは、「国産み」と「神産み」、すなわちこれが全ての神話のスタートとなっていること。
カグツチが火の神であり火山噴火を連想させ、それが原因でイザナミが死んだこと。
そしてイザナギが、黄泉の国から逃げるということ。
黄泉は地下の泉を指し示し、硫黄泉などを連想させるということ。現代でも硫黄泉のある場所は「地獄」と言われていること。
この一連の話が、火山噴火による災害と避難を意味しているのではないかと思われるのだ。
そしてそれが神話の最初に出てくるということは、極めて重要な意味があるはずだ。

ここで古事記や日本書紀に詳しい人は「おや??」と思うかもしれない。
そう、ここで出てくる話の黄泉の国は、古事記では出雲(いずも)つまり島根県を指し示している。
九州ではない。
一方、日本書紀によると熊野つまり紀伊半島を指し示す。
だが、南九州にもその伝承場所があるのを知っている人は少ないだろう。

話が長くなりすぎたので、今回はここまで。
次回は実際に、この黄泉の国の舞台と思われる南九州の地をカブでぶらりと旅して、続きを紹介しようと思う。

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タグ:神話 古事記

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